たむら@長女から電話がありました。
2005年4月7日今日が中学校の入学式だったそうです。
「お母さんに会える?」と聞かれました。
コッチの一存で娘等には会えないけど「会えるよ」と応えました。
いったんうちの母(おばあちゃん)に電話を変わった後
再度受話器を受け取った際、娘は泣いていました。
私は極力、出来るだけ明るく電話での会話をしました。
じきに娘は涙声ではなく、自然な会話になりましたが。。。
自由に娘達と会えない歯痒さを感じました。
もちろん娘達の方が私と会えない淋しさは強いものだと思います。
でも、、、会えなくて悲しいなんて母親の私からは言えません。
一緒に親子として過ごせない寂しさは離婚してしまった時点で
どうしようもないことだから。
だけどこの世にふたりの娘を人として産んだのは確かに私。
この絆と血の繋がりは絶てない事実。
子供達を愛おしいと想うのはあたりまえなんだよね。
会えない辛さはきっと私だけでも娘二人達だけでもないはず。
私がこの世に生誕させたのにね。。。
なんで私の傍に居ないんだろうか、、、?
本当に協議離婚だったのかな???
「お母さんに会える?」と聞かれました。
コッチの一存で娘等には会えないけど「会えるよ」と応えました。
いったんうちの母(おばあちゃん)に電話を変わった後
再度受話器を受け取った際、娘は泣いていました。
私は極力、出来るだけ明るく電話での会話をしました。
じきに娘は涙声ではなく、自然な会話になりましたが。。。
自由に娘達と会えない歯痒さを感じました。
もちろん娘達の方が私と会えない淋しさは強いものだと思います。
でも、、、会えなくて悲しいなんて母親の私からは言えません。
一緒に親子として過ごせない寂しさは離婚してしまった時点で
どうしようもないことだから。
だけどこの世にふたりの娘を人として産んだのは確かに私。
この絆と血の繋がりは絶てない事実。
子供達を愛おしいと想うのはあたりまえなんだよね。
会えない辛さはきっと私だけでも娘二人達だけでもないはず。
私がこの世に生誕させたのにね。。。
なんで私の傍に居ないんだろうか、、、?
本当に協議離婚だったのかな???
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